「ちゃんと読んだ」は、けっこう怪しい『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』
はじめに

「了解!」したのに、何も了解していない
スマホにメッセージが届きます。
「明日は10時。いつもの駅じゃなくて、東口のカフェ前ね」
読む。
すぐ返信。
「了解!」
翌朝。
9時55分。
いつもの改札に到着。
「……誰もいないな」
友人に電話します。
「いま改札にいるけど?」
「東口のカフェ前って送ったよ」
スマホを見る。
確かに書いてあります。
「……ほんとだ」
読んだ。
意味も分かった。
なのに、
頭の中ではなぜか、
「明日10時、いつもの場所」
になっていました。
西林克彦さんの
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』が扱うのは、
こんな不思議な状態です。
読めなかったのではありません。
むしろ逆。
「分かった」と思うのが、早すぎたのです。
※本記事は、書籍の内容をもとに筆者の個人的な感想や解釈を交えて紹介しています。詳しい内容については実際の書籍をご確認ください。
小学2年生の物語なのに、大人も引っかかる

本書には、
小学2年生向けの国語教材として使われた、
子猫たちの物語が登場します。
文章は簡単です。
大人なら、
普通に読めます。
読み終わって聞かれます。
「内容は分かりましたか?」
たぶん答えは、
「もちろん」
です。
ところが、
質問を変えます。
「それぞれの子猫は、どんな性格でしたか?」
「どの家にもらわれましたか?」
すると、
「えーっと……」
急に怪しくなる。
そこで、もう一度読む。
すると、
一回目には見えていなかったものが出てきます。
「あ、この子はこういう性格なのか」
「だから、こんな話し方をしていたのか」
最初から文章に書いてありました。
でも、
見えていなかった。
なぜなら途中で、
「もう分かった」
と判断していたからです。
これが本書でいう、
「わかったつもり」
です。
「わからない」より厄介なのは「わかった」

分からない文章を読んだとき、
人はちゃんと困ります。
「これ、どういう意味?」
調べる。
読み直す。
誰かに聞く。
だから、
まだ何とかなります。
問題は、
「うん、分かった」
と思ったときです。
もう調べません。
もう読み返しません。
質問もしません。
本人の中では、
問題が解決しているからです。
仕事でも起こります。
上司からメッセージ。
「明日の資料、数字を最新にして午前中までにお願いします」
「了解です!」
ところが翌朝。
「……どの数字だ?」
売上?
利益?
先月分?
今年累計?
ちゃんと読んだはずなのに、
実は、
「資料を直すんだな」
くらいしか理解していなかった。
読解力というと、
難しい文章を読む能力に聞こえます。
でも本書を読むと、
むしろ怖いのは、
簡単な文章を雑に分かったことにしてしまうこと
だと気づきます。
「本当にそう?」を一回だけ入れてみる

では、
何でも何度も読み返せばいいのでしょうか?
それでは疲れます。
使いやすいのは、
理解したあとに一度だけ、
「本当にそう?」
を入れることです。
友人が言います。
「最近、仕事がきつくてさ」
こちらはすぐ、
「忙しいんだな」
と思う。
でも、
本当にそうでしょうか?
聞いてみます。
「何が一番きついの?」
すると、
「通勤なんだよ。往復3時間かかってて」
仕事の忙しさではありませんでした。
文章でも会話でも、
僕たちは足りない部分を勝手に補います。
しかも、
その補った内容まで、
相手が言ったことのように感じてしまう。
だから、
全部疑う必要はありません。
一回だけでいい。
「自分がそう思っただけじゃない?」
そこを確認するだけで、
「わかったつもり」は少し崩れます。
最後に

「了解」は便利です
夜。
メッセージが届きます。
「明日の会議は9時。第2会議室です。資料は各自印刷して持参してください」
男性は一瞬で読みます。
「了解です!」
翌朝。
9時。
第1会議室。
手ぶら。
誰もいません。
スマホを開く。
そこには、
昨日と同じ文章があります。
一文字も変わっていません。
男性はしばらく画面を見て、
小さくつぶやきます。
「……何を了解したんだろう」
僕たちも、
「了解」を押す前に、一度だけ「本当に?」を挟んでおいたほうがよさそうです。
