なぜ人間は、事実より「うまくできた話」に引き込まれてしまうのか?――『ストーリーが世界を滅ぼす』
「そんな話、誰が信じるんだ?」

ある人が、真顔でこう言ったとします。
「地球は平らなんだ」
たぶん多くの人は、そこで笑うと思います。
「いやいや、丸いでしょ。宇宙から撮った写真だってあるし」
人工衛星も飛んでいますし、飛行機は世界中を行き来しています。
普通なら、これで話は終わりです。
ところが、その人は少し声を落として続けます。
「その写真、本物だと思ってる?」
「え?」
「世界中の人が、ずっと騙されているんだよ」
さっきまで、ただの突拍子もない話だったはずなのに、少しだけ雰囲気が変わります。
「じゃあ、誰が騙してるの?」
「政府も宇宙機関も、本当のことは知っている」
「なんで隠す必要があるの?」
「本当のことを知られたら困る人たちがいるからだよ」
もちろん、信じる必要はありません。
むしろ普通なら、
「そんなわけないだろ」
と思います。
でも、不思議なのはここからです。
話を信じていないのに、
「知られたら困る人って誰なんだろう?」
と、ほんの少しだけ続きを聞きたくなります。
その人は、さらに続けます。
「昔から、この秘密を知っている人たちがいる」
「証拠はあるの?」
「証拠が残らないように消されているんだ」
「じゃあ、どうしてあなたは分かったの?」
「自分で調べて気づいたんだよ」
ここまで来ると、最初の
「地球は平らだ」
という一言だけの話とは、ずいぶん違って見えてきます。
世界中の人が知らない秘密があり、その秘密を隠している側がいて、そこへ少数の人だけがたどり着いた。
つまり、単なる主張だったものに、
「隠された真実を見つける話」
が加わっています。
しかも、その物語の中では、自分も特別な側へ入ることができます。
「みんなは気づいていない。でも自分は気づいた」
これは、なかなか気持ちのいい役です。

実際、2018年にアメリカで行われたYouGovの調査では、回答者の2%が「地球は平らだ」と答えています。
もちろん、この数字だけを見ても、
「どうしてそんな話を信じるんだろう」
と思います。
ただ、地球平面説を
「地球は平らです」
という一文だけで考えると、その理由は見えにくいのかもしれません。
そこへ、
「世界中が騙されている」
「本当のことを隠している人がいる」
「自分たちはその秘密に気づいた」
という筋書きが加わると、話は急に面白くなります。
正しいかどうかとは別に、
続きを知りたくなる形になってしまうのです。
そして、ここが少しやっかいです。
最初は、
「そんな話、誰が信じるんだ?」
と笑っていたはずなのに、
話がうまくできていると、
「それで、その先は?」
と、気づけば続きを知りたくなっています。
人が物語に引き込まれるのは、信じたあととは限りません。
信じる前から、もう始まっているのです。
※本記事は、書籍の内容をもとに筆者の個人的な感想や解釈を交えて紹介しています。詳しい内容については実際の書籍をご確認ください。
人間は「事実」より「物語」に入り込む

著者ジョナサン・ゴットシャル氏の
『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』
で面白いのが、
人間は物語を聞くと、その中へ入り込んでしまう
という考え方です。
例えば、
「失業者が増えています」
と言われたとします。
「そうなんだ」
で終わるかもしれません。
でも、
「ある日、一人の父親が会社から呼び出されました」
となる。
「今日で契約は終了です」
「え?」
「家では子どもが誕生日ケーキを待っています」
ここまで聞くと、
さっきまでの「失業者」という数字が、
突然、
一人の人間
になります。
「この人、どうなるんだろう」
と気になってきます。

心理学では、こうして物語の世界へ入り込む状態を、
ナラティブ・トランスポーテーション
と呼びます。
少し難しい名前ですが、感覚としては簡単です。
小説を読んでいて、
「あと一章だけ」
と思ったのに、気づいたら夜中になっていた。
あの感じです。
頭では、
「これは作られた話だ」
と分かっています。
それでも、主人公が危険な目に遭えば心配します。
悪役が出てくれば腹が立ちます。
最後に助かれば安心します。
物語には、
「これは本当に正しい情報なのか?」
と一つずつ確かめるより先に、
登場人物の気持ちや出来事に意識を向けさせる力があります。
だからこそ、説得にも使えます。
広告でも。
政治でも。
陰謀論でも。
「これを信じてください」
と言われれば警戒できます。
でも、
「こんな出来事があったんです」
から始まると、少し警戒が弱くなります。
そして気がつけば、
話を聞いていたはずなのに、
その物語の中で誰を応援するかまで決めている。
やっかいなのは、そうやって自分でも気づかないうちに、考え方まで物語に影響されてしまうことです。
日常でも「登場人物」を探してしまう

では、
「陰謀論には近づかないようにしよう」
で終わりでしょうか?
残念ながら、そう簡単ではありません。
この仕組みは、もっと普通の日常にもあります。
例えば会社で、
「新しいルールが始まるらしいよ」
と聞いたとします。
それだけなら、ただの情報です。
ところが同僚が言います。
「また上の人が勝手に決めたらしい」
「現場のことなんて何も分かってないんだよ」
すると、急に物語ができます。
主人公は現場の社員。
悪役は上司。
被害者も現場の社員。
「なるほど。また上が悪いのか」
となります。
でも実際には、
取引先から要請があったのかもしれません。
法律が変わったのかもしれません。
過去に事故があったのかもしれません。
まだ何も確認していないのに、
物語だけは先に完成しています。

家庭でも同じです。
「返事が遅い」
という出来事がある。
そこへ、
「最近ちょっと冷たい」
「あの時もそうだった」
「きっと避けられている」
と出来事をつなげていく。
いつの間にか、一本のストーリーになります。
「なるほど。全部つながった」
この瞬間が少し危ない。
本当に全部つながったのではなく、
こちらがつないだだけかもしれないからです。
だから、何かの話を聞いて、
「なるほど、そういうことだったのか!」
と強く納得した時ほど、一度こう考えてみるとよさそうです。
「これは事実を確認して納得したのか?」
「それとも、話として分かりやすかったから納得したのか?」
特に、
悪役がはっきりしている話。
原因が一つしかない話。
「全部あいつのせい」で説明できる話。
自分だけが真実を知っている気分になる話。
こういう時ほど、少し確認したほうがよさそうです。
物語なら、
「全部あの人が悪い」
としたほうが分かりやすくなります。
でも現実の問題は、たいてい一人だけが原因ではありません。
いくつもの事情や判断が重なって起きていることのほうが多いのです。
最後に

ここまで読むと、
「なるほど。これからは物語に騙されないようにしよう」
と思うかもしれません。
ところが、この本には少し意地の悪いところがあります。
著者は、
「物語は人を操ることがある」
と警告します。
そのために、
地球平面説を紹介し、
陰謀論の事件を紹介し、
主人公と悪役が生まれる仕組みを説明します。
つまり、
「物語に気をつけろ」という話を、面白い物語にして読ませている。
「なるほど!」
と思った時点で、こちらはもうかなりきれいに引き込まれています。

物語から完全に逃げるのは、たぶん無理なのでしょう。
せめて、
「悪役は誰だ?」
と思った時くらいは、一度だけ確認したほうがよさそうです。
その悪役、本当にそこにいるのか?
……まあ、そう考えさせるための話を、僕も今ここまで書いてしまったのですが。
