老後まで待たないと、本当に自分の時間はもらえないのか?『人生の短さについて 他2篇』
今日も、何もできなかった

夜。
男性がソファに座ります。
妻が聞きます。
「今日、何してたの?」
男性。
「仕事して、買い物して、動画見て……」
妻。
「忙しかったんだ」
「うん」
妻が机を見ます。
「本は?」
男性も見ます。
朝から置いたままです。
「……また読めなかった」
何もしていなかったわけではありません。
むしろ、
ずっと何かをしていました。
それでも、
自分がやりたかったことだけ残っています。
男性。
「時間がなかったな」
そう言って、
本を明日に回しました。
※本記事は、書籍の内容をもとに筆者の個人的な感想や解釈を交えて紹介しています。詳しい内容については実際の書籍をご確認ください。また、本文中の人物名については、文章を読みやすくするため敬称を省略しています。
セネカは、そこを疑った

約2000年前。
「人生は短すぎる」
と嘆く人たちに、
セネカは反対しました。
人生が短いのではない。
かなりの時間を、自分たちで使ってしまっている。
仕事。
人付き合い。
出世。
財産。
気晴らし。
どれも、
一日を埋めていきます。
そして夜になると、
自分がやりたかったことだけ残っています。
セネカがこの話を向けたパウリヌスも、
暇な人物ではありませんでした。
ローマの食料供給に関わる、
重要な仕事をしていた人物です。
それでもセネカは、
仕事だけで人生を埋めず、
自分自身のための時間も持つよう勧めました。
忙しいから、
自分のことは後でいい。
そうしていると、
その「後で」が、
なかなか来ないからです。
「時間があれば」をやめる

翌朝。
男性が予定表を見ます。
仕事。
買い物。
返信。
その下に、
小さく書いてあります。
「本を読む 時間があれば」
男性。
「これ、毎日書いてるな」
妻。
「毎日できてないけどね」
男性は、
「時間があれば」を消します。
そして、
「20:30 本を読む」
と書きます。
夜。
20分だけ本を読みます。
妻。
「それだけ?」
男性。
「昨日はゼロだったから」
一日を増やすことはできません。
でも、
自分がやりたいことを、
いつも最後に回す必要もありません。
仕事や用事だけで一日を埋めず、
自分のための時間も、先に少しだけ取っておく。
セネカの言葉を今の生活に使うなら、
まずはそれだけでも十分なのかもしれません。
最後に

数日後。
男性が友人と話しています。
友人が言います。
「仕事が落ち着いたら、旅行したいんだよな」
男性。
「分かる。僕も本をゆっくり読みたい」
友人。
「じゃあ、いつやる?」
男性は少し考えます。
「……老後かな」
友人が笑います。
「ずいぶん先まで先送りしたな」
男性も笑います。
老後なら、
時間はありそうです。
予定も、
まだ何も入っていません。
ただ、
その日まで元気かどうかは、
予定表には書いてありません。
未来の予定だけは、いつでも空いています。
